短編集 恋の卵

キスマーク

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 途中入社の真田君はいつも私に付きまとってくる。
 ヘッドハントされたという噂が出るくらい営業成績がいいし、顧客の指名も日に日に増えてくる期待の新人さんだ。
 新人と言っても年齢は私と同じぐらいだろう。
 仕事を教えてやれと言われて指導する気でいたのに、あっという間に業績で抜かれてしまい、なんだか立つ瀬がない。

 それなのに、やたらとなつかれてしまって困る。
 今日も今日とて、自分のコーヒーでも淹れようと給湯室に来た私の動きに気付いて、俺も欲しい~なんて言いつつ後ろをついてきた。
 私がカップを用意する横で、ねぇねぇとうるさい。

「髪、おろしてみない?」
「バサバサするから嫌い」

 ぴしゃりと跳ね返す。
 重たいぐらい量も多く、肩甲骨の下まで伸ばしているから、おろすとデスクワークの邪魔になる。
 本当はカットに行きたいけど修羅場が迫っているので、美容室に行く時間がしばらくないのだ。
 業務内容のせいで残業も多いから若い女の子がいつかず、忙しさにかまけているうちに三十代を突破していた。
 そのことに気づかなければよかったのに、思わず現実を見つめてしまっている寂しい人間代表の私に、絡んで何が楽しいのかちっともわからない。

「でも困るでしょ?」
「困ったことない」

 そう? と、なんでもない調子で笑った顔が、流れる速度で距離を詰めてきた。
 いきなりだったから身を引く暇もなく、熱い吐息がうなじに触れて思わず身をすくめた。
 チリッとかすかな痛みが走る。
 誰も通りかからないからといっても会社の中なのに、いきなりこんなことをするなんて信じられない。
 ドンッと強く押し返し睨みつけたけど、彼は満足そうだった。
 赤い刻印のようにキスマークが刻まれたのだろう。

「ほら、見えちゃう」

 なにするの! と言う前に、真田君の手が伸びてきた。
 むき出しの首筋を思わず手で押さえたけれど、フッと笑って「こうすればいい」と言いながら、髪をまとめている私のシュシュを奪い取った。
 ほどかれた髪がサラリと流れ落ちる。

「これで君は僕のもの」

 歌うような口調に艶やかな熱があり、思わず彼から目をそらす。
 隠れた首筋をなぞる指先が、私の気持ちをかき乱すように甘くうごめいた。
 床を見ていても真田君の熱のこもった視線を感じて落ち着かなくなる。

 付き合ってほしいって言われたことはないけれど、そういうニュアンスのセリフを真田君はいつも投げかけてくる。
 でも、あまりに口調が軽すぎて、信じられない。
 付き合ってもないのにキスマーク付けるとか、ありえないし。
 私に惚れてるとか、嘘ばっかり。

 でも、つかみどころのない笑顔でいる彼の瞳が私だけを映していて、他の人には営業の顔しか見せない。
 見つめあったら危険だ。
 私にだけ素の眼差しを見せている気がして、その甘さにほだされてしまいそうになる。
 真田君みたいに人好きのする優秀な人材は、お局様扱いで社員に敬遠される私には不似合いだ。

「私は誰のものでもないわ」

 こぼれ落ちた小さないら立ちを残して歩き出したけれど、うまくいかなかった。
 背後から抱きしめられたのだ。
 その腕の力強さと温かさに胸が震えた。

「いいかげん、俺を見ろよ」

 なんでそんなこと言うのだろう?
 真田君は存在そのものがキラキラとしていて、仕事人間と揶揄される私には釣り合わない気がする。
 どうせすぐにダメになる、という不安な感情を消せないのだ。
 仕事ならいくらでも自信を持てるのに、真田君を拒絶したい私がいる。

「あなたなんて嫌い」
「惚れてるのは俺だから大丈夫」
「意味がわからないわ」 

 手ごわいな、と真田君は笑ったけど、手をほどいた。
 急に離れた体温に、背中がスースーする。
 振り返ると、にやりと彼は笑った。

「次の契約取ったら、正式に付き合えよ」

 じゃぁな、と言って喫煙室へと歩き出す。
 その背中を見送って、思わず立ち尽くしてしまった。

 真面目な人間は騙しやすいから、からかわれているんだと思う。
 本気にしたの? やーいやーい、勘違いしやがって、バカじゃね? と言ったのは、ゼミで一緒だった男だ。
 それまでは、真田君以上に甘い言葉ばかり囁いてきたのに。
 日常のうまくいかないいらだちをぶつけて楽しむ人がいることは知っていたけれど、彼に好意を抱いていた私には充分にショックだった。
 可愛いね、とか、僕と付き合ってみる? なんて誘う言葉は嫌いだ。

 でも。
 ゼミの男と同じでひどい仕打ちだと思う私がいるのに、真田君の言葉を信じる私もいる。
 真田君と出会ってからの時間は短いけれど、軽口を叩きながらも彼は嘘をつかない。
 他人を貶めるようなからかいもしない。

 もし、本気だったら?
 そう思うと、顔が赤くなるのを止められなくなる。
 この程度で陥落されるなんて、本当にバカな私。

 首筋をそっと押さえた。
 彼の唇が触れた熱は、記憶の中に刻み込まれている。
 背筋が痺れるほど甘い痛みだった。

 今は真田君を信じてみよう。
 このキスマークが、きっと契約の証になる。

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