短編集 恋の卵

雨の神様にお願い 前編

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 夏期講習が終わる頃、夕立が襲ってきた。
 天気予報の嘘つき、傘なんて持ってきていない。
 玄関で足を止め、どうしようかな? と悩んでいたけれど、ふと思いつく。
 他の人たちのように濡れて帰るのもいいけれど、どうせなら少しだけ立ち寄りたい場所があった。

 廊下を引き返して目的地に向かうと、そっと扉を押しあける。
 人の気配がなくなった部室。
 ガランとして静まり返り、ゼッケンやスコアボードが所在なげに置いてある。
 夏休みだから閉め切る時間が長いし、雨で気温が下がっているとはいえ室内は蒸し暑い。
 補欠だった私は期末テストの前に引退したから、ここにくるのも久しぶりだ。
 懐かしい、と思いながら窓を開ける。
 降り続く雨の音が冷えた空気と一緒に忍び込んできてスウッと頬をなでた。
 空を見ると少しづつ明るくなってきたから、そのうち雨も止むだろう。

 うん、雨が上がったら帰ろう。
 それまではここで雨宿りだ。
 決めてしまうと心がスッと楽になった。

 部室での雨宿りは深呼吸みたいに安らぐけど、ほんの少し手持無沙汰だ。
 綺麗に磨かれたバスケットボールをひとつ手に取ってみる。
 つい先日まで馴染んでいたはずの手触りが、どこか他人顔になっていて少し切なかった。

 どうせなら体育館に行ってコートを走りたい。
 部活動の生徒はすでに全員帰宅して体育館は施錠されているはずだから、想像することしかできなくてよけいに焦燥感がわき上がる。
 受験受験の毎日のせいか、センチメンタルになっているのかもしれない。
 そう思いたかったけれど、圧倒的な速度で現実が私に襲いかかってきた。

 高校3年生になると受験勉強がメインになるのは当然だと思っていたけど、こうしてバスケットボールに触れる機会って、本当にあるのかな?
 大学に受かるかどうかもわからないし、受かったとしても今までみたいにバスケットを続けられるとは限らない。
 就職なんてしたら、そもそもそんな時間もなくなってしまうだろう。
 今頑張れば、今だけだから、と思っていたけれど。
 もしかしたらこの先ずっと、二度とボールを持つこともなくて、コートにも立てないかもしれなかった。

 淡いほろ苦さが胸に詰まって、なんだか泣きそうになったとき。
 ガラリ、と部室の扉が開いた。
 ビックリして振り返ると、同じようにビックリした顔の太田君がいた。

「あれ? 山根、なんでいるの?」
「太田君こそ、どうしたの?」
 驚きすぎてかすれた声になったけれど、ニヤッと太田君は笑った。
「ん~なんとなく? 山根こそ、暇だねぇ」
 暇って……同じ三年生に言われたくないんだけど。

 私がムッとしたのがわかったのだろう。
 太田君は笑いながら「冗談だよ」と言って、バスケットボールをひとつ手に取ると近くの椅子に座った。
 座れば、と私にも促しながら、クルクルと指先でボールを回している。
「たぶん、山根と同じ理由だと思うけど?」

 思わず首をかしげてしまう。
 同じ理由って変だ。
 太田君の所属している男子チームはインターハイに出場が決まっているので、レギュラーの三年生はまだ引退していない。
 そして太田君は一年生の後半から、ずっとレギュラーだったはずだ。
 部活と講習との二本立てで、かなり厳しいスケジュールをこなしているのでは?

 私の顔に疑問がそのまま出ていたのだろう。
 太田君はつまらなそうにボールを回すのをやめて、手の中のボールを見つめる。
「俺はレギュラーからも補欠からも外されてめでたく引退。この夏はお勉強一本なんだよ」
 その投げやり感は、私のぼやきそのものだった。

 そうなんだ、とうなずいたけど、少し不思議だった。
 太田君はいつもレギュラーで試合に出ていた気がする。
 背も高いし愛敬のある顔をしている太田君は人気者で、彼目当てに見学に来た女の子がたくさんいて、いつもキャーキャー騒いでいるからそれは間違いない。

 どうして? と聞きたかったけれど、なんとなくそれは地雷を踏む気がして思わず言い淀む。
 少し居心地の悪い顔になった私に気付いたのだろう。
 太田君は私を見てニヤッと笑った。

「試合時間が女子とちょうど重なってたから、俺のファインプレーを山根は見てないだろうけどさ。名誉の負傷」

 名誉の負傷、という言葉に思いだした。
 外にはじかれたボールをラインぎりぎりでジャンプして、コートに戻した選手がいたと大騒ぎだった。
 その人は勢い余って壁に激突してしまい、肉離れを起こして病院に運ばれたそうだ。 
「あれ、太田君だったの?」

 うん、とあっさりうなずいた後、太田君は肩をすくめた。
「その顔だと知らなかったんだな。同じ部なのに冷てぇ奴」
 ごめん、と私は謝るしかない。

 先生とマネージャーだけで付き添いは平気だと言われたし、 通院だけで入院はしなかった、ぐらいは知っていたけど。
 あの日は引退する同学年の子たちと予定通りお疲れ会に行ってしまい、その後のチェックもしていなかった。
 私にとってあの日は最後の部活動の日で、自分のことだけで泣けてそれどころじゃなかったから、コートが違う男子部の出来事などすっかり忘れていた。
 だけど、こうして振り返ってみると、ものすごく冷たい人間になった気がする。

 言い訳をしても仕方ないけど。
 同じ三年生で同じ部活でも男子部と女子部では内容が違うし、レギュラー同士以外が顔を突き合わせて話をする機会は少ない。
 部長クラスやレギュラー同士だと、遠征や部会で共同作業も多いけど、補欠にも入れない万年ボール磨きに近い私と、レギュラー常駐の太田君だとなおさら接点がなかった。
 姿は見かけるし挨拶はするけど人気者だから避け気味で、一対一の会話なんて今日が初めてだ。
 こうして近くで見ると人好きのする笑顔で、騒いでいた女の子たちがいるのも納得できる。

「えっと、今さらだけど、大丈夫?」
「歩くのは平気だ。まだテーピング生活だけどな」
「そっか」
 そっか、歩くのは平気でも、まだ走れないんだ。
 なんとなくわかってしまった。

 だから今日、太田君はここに来たんだ。
 私が今日、ここに来てしまったように。

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