短編集 恋の卵

「そして、君に二度目の恋をする」  前篇

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 今年もまた、彼女からの年賀状が届いた。
 数少ない俺あての年賀状の中から一枚だけ抜き出し、クルクルと手の中で弄ぶ。

 文面は「新春のお慶びを申し上げます」と非常にシンプルだけど、黒々とした墨で綴られた文字が、年齢に似合わぬ凛とした空気を連れている。
 流れるような筆遣いは彼女の立ち振る舞いそのものに思えて。
 崩しすぎず硬過ぎず、毛筆になんてまるで興味のない俺でも読み取れる美しい文字は、とても同じ十九歳の手から生み出されたとは思えない。

 小深田 桜子。
 薄い紙切れ一枚なのに。
 彼女が投函したと思うだけで、苦しいような切ないような不思議な気持ちを連れて、俺の記憶は何年も前に舞い戻る。
 中学三年生の時、彼女は同じクラスだった。

 彼女と話をしたのは一月の終わり。
 学校主催のマラソン大会に参加した後だ。
 なぜか受験まっただ中の三年生まで参加義務があって、勘弁してくれよってのが本音だった。
 何キロも公道を走るより、一分でもいいから参考書を開きたい時期なのに。
 家にこもりがちな受験生の体力作りに役立つという校長の方針に、正面切ってたてつくほど俺はとんがってもいなかった。
 ぶっちゃけ、内申書に響くのが怖かっただけだ。

 だけどさ。
 本命の高校が合格ラインぎりぎりの学力だったし、なんとか点数が足りても定員の中に滑り込めなかったら意味ないだろ?
 毎日、俺らしくもないぐらい必死に勉強していたから、睡眠不足が祟ったんだと思う。
 走り終えた後に俺は気分が悪くなって、そのままひっくり返ってしまった。

 目が覚めたら保健室のベッドの上。
 真白な天井に、ここはどこだ? って言葉も出ないぐらい、何が起こったかわからなかった。

「大丈夫?」
 そんな声が降ってきて、ゆるゆるとベッドの横に目を向けると彼女がいた。
 ベッド横の椅子に体操服姿のまま座っていて、読んでいた本を閉じながら立ち上がる。
 メガネのレンズがキラリと反射して、俺を見ていた彼女の表情を隠した。
 誰だっけ? と聞く間もなく、彼女の口元が微笑みを形作る。

「先生、呼んでくるね」
 スルリとすべるような滑らかな足取りで保健室を出て行った彼女が、マラソン大会用の保健委員の腕章を付けていたことに、俺はようやく気がついた。

 その程度だった。
 その時は名前も知らなかったし、どこかで会ったことがあるかもしれない、ぐらいの認識しかなかったけど。
 本当にその程度にしか、その時までの俺は彼女の事を見ていなかった。

 彼女が保険医を連れて帰ってきて、勉強するのもいいけど夜はちゃんと寝なさいとかいろいろと小言を受けて、かなりへこんでしまった。
 それもけっこう長い説教だったから立つ瀬がない。
 とにかく勉強しろとか、だらだら寝るなと言う癖に、ほんとに寝る間を惜しんで勉強したら自己管理がなってないって怒るんだから。
 ほんと、大人って勝手だ。
 だいたいさ、こんな大事な時期の受験生にマラソンなんてさせるなよ。

 反論はしなかったけれど倒れてしまった手前、口を引き結んだままフツフツと湧きあがる不満をためていたら、先生が息継ぎする瞬間に彼女がサラリと言った。
「先生、下校時刻が過ぎたので、私たち、もう帰ってもいいですか?」
 ああ、と初めて気がついたように保険医は彼女を見て、お疲れ様、と言った。
「小深田さん、今までありがとう。助かったわ」
 そして、俺たちは解放された。

 着替えて玄関に行くと、ちょうど彼女と同じタイミングになった。
 下駄箱の位置が想定外に近くて、ほんとに驚いた。
 同じクラスだったんだ。
 言っちゃ悪いが、それまで同じ教室にいたことすら意識していなかった。

 きちんと校則を守っているスカート丈や、羽織っている学校規定のコートはしゃれっ気がなく、鞄にキーホルダーもついてなくて、折り目正しい印象だった。
 はっきり言って地味。
 かといって悪目立ちするほど真面目すぎもせず、顔立ちも体格もとりたてて目に留まることがない平凡な感じ。
 良くも悪くもすべてが平均的だから、特徴をあげるのが難しい。

 でも至近距離で見る彼女は、目を離せない不思議な雰囲気をしていた。
 しぐさも指先まで神経が行き届いている感じで、見慣れないなめらかな動きに戸惑う。
 少しかがんで、ただ上靴を片づけただけなのに、他の誰かと何かが違った。
 姿勢がいいからかもしれない。
 冗談を言って困らせるより、その立ち振る舞いを見ていたくなる上品さがあった。

「高崎君、大丈夫?」
 声を掛けられてハッとした。
 それまでボーっと彼女だけを見つめていたことに、ようやく気がついた。

 思いのほか至近距離に顔を寄せてきたので、俺は内心どぎまぎしてしまう。
 俺だけを見上げてくる、心配そうなその眼差し。
 大きめの眼鏡レンズの反射で隠れていた瞳は透き通るような光をたたえ、ぽってりとした小さな唇が甘い桜色をしていた。
 涼やかな目元も穏やかな語り口も大人びた知的な感じで、艶のある色香に一気に心臓の鼓動が早まる。

 なんだこれ? と気持ちが落ち着かなくて胸を押さえたら、何か勘違いしたらしい彼女は自分の帰る方向を告げた。
 それは俺と途中まで同じ道のりで、綺麗な発音で「一緒に帰ろう」とつけたされたことに、心臓がドクンと音を立てる。

「まだ調子が悪いでしょう? 倒れたら困るから、途中まで一緒に」
 優しい感じで顔をのぞきこまれて、動揺しまくりながらも俺はうなずいた。
 日頃の足りてないぶんまで寝て、むしろ今の調子はよかったけれど。
 意地を張って平気だと言うよりも、かっこ悪くていいから少しでも一緒にいたいと俺は思ったんだ。

 そして彼女と一緒に歩いた。
 平気な顔すらできず内心で動揺しまくって無口な俺に、彼女はそっと話題を振ってはクスリと笑う。
 それが鈍色の冬空に対比してやけに綺麗に見えて、俺の不格好な返答にも穏やかに微笑むから、チラチラと視線が定まらず目のやり場に困っていた。
 彼女を見たいのに目が合うと足元や鞄に視線をそらすばかりで、思い返すと顔から火が出そうなぐらい挙動不審だった。

「最近、眠れないの?」
 倒れてから二時間近くぐっすり眠っていたから、返す言葉もなかった。
 付き添ってくれてありがとうと言うしかないが、いくらなんでも学校で熟睡しすぎだ。
 まぁ眠れないわけでも、眠らないわけじゃなく、無駄にあがいているだけだけどさ。
 志望校が厳しいことを少しだけ話したけれど、どこか煮え切らない俺の返事に、彼女は制服の内ポケットからお守りを取り出した。

「あげる。御利益あるから。ちゃんと睡眠時間を確保してね」
 手のひらに落とされた合格祈願のお守りは、彼女の体温でほんのりと暖かかった。
 やわらかなチリメンの手触りに動揺して「君が困るから」と返そうとしたら、俺の手にそっと彼女の手が添えられる。
「平気。近くの神社だから、私の事は気にしないで」

 眩しい。
 その笑顔に、心臓を撃ち抜かれた気分だった。
 だけど俺だけを見つめている瞳が綺麗過ぎて、目のやり場に困る。

 ほんと、俺、どうしたんだろう?

「お大事にね」
 いつの間にか分かれ道に来ていたようだ。
 そう言って彼女は俺とは違う道を歩き出す。
 一つに束ねられた長い髪が、艶々としながらその背中を覆っていた。
 振り向きもせず帰っていく彼女を、俺は見えなくなるまで見つめていた。

 小深田 桜子。

 覚えたばかりの名前を、なんども口の中で繰り返す。
 喉がカラカラになったけど、不器用ながらも名前を聞きだすことには成功した。
 なのに、遠ざかる背中に呼びかけることも、追いかけることもできなかった。

 それが、俺の初恋だった。
 彼女とは同じクラスだったのに、それが俺の初めての恋だった。

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