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「祖父と鉛筆」

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鉛筆を削るのは、得意だった。
小学生の頃、他の人は鉛筆削りを持っている中、私はいつもカッターナイフだった。
たったひとりだったけれど、それを特別だとは思わなかった。

鉛筆削りで細く鋭くとがらせた先端を、ノートに書き込む際に友達はよく折っていたように思う。
削られたばかりのツルッとした木目を綺麗だなと思っていたけれど、パキパキ折れてどんどん短くなる寿命の短さに、もう少し大切に使えばいいのにと思った。
私はあまり芯を折らなかったから、同じ鉛筆を長く使っていた。
筆圧の強い低学年の筆記には、少し角ばった太めの削りが合っていたのかもしれない。

鉛筆を削っていると、いつも祖父の背中を思い出す。
祖父は歩くことができなかった。
6歳の時にポリオにかかって、歩行機能を失ったのだ。
細い枯れ木のような筋肉のそげ落ちた足で、それでも自作の二本の杖と腕の力だけで立っていた。
両脇から杖で支えバランスを保ち、腰を使って振り子のように足を動かして歩いた。
不器用なその歩行を笑う人が多かったけれど、どこに行っても堂々と歩いていた祖父のことを、身内の欲目かもしれないが私はカッコイイと思っていた。
だから笑われることが悔しくて、パッと感情的に噛みついてしまい、祖父に相手にせんでいいと怒られていた。

黙々と働く器用な人だった。
何をするにもあきらめることがない人だった。
一度ぐらいダメでも、何度でも丁寧に思考錯誤を重ねて繰り返す、静かな情熱を秘めた人だった。
亡くなってからも、その背中を忘れることができない。

できることと、できないこと。
得意なことと、不得意なこと。
人間は誰でも両方持ち合わせている。
それが当たり前の姿であるということ。
ただありのままの自分を認めればいいと、そこにいるだけで教えてくれた。

刃物を使うことを教えてくれたのは祖父だ。
教えてくれたよね、と聞くと、お前が自分で覚えたんだって言うはずだけど。

私がはじめて削ったのは、鉛筆ではない。
竹トンボを小刀で作った。
幼稚園ぐらいのときだろうか?
もう少し小さかったかもしれない。
かなり変わった環境で育ったのだけど、おもちゃは買わずに祖父がよく作ってくれた。
ポックリ、水鉄砲、弓矢、竹トンボ、コマ、けん玉、竹馬、他にもあるけど。
あっという間に作り上げるので、いつもその作業を横で見ていた。
私はそれで遊ぶより、作りあげられる行程が好きでたまらなかった。
なんでもあっという間に作る、魔法使いみたいだと思っていた。

ある日、祖父は私に小刀と材料を渡した。
自分でやってみなさい。
やり方はわかるはずだと、見ていたんだからと言われた。
祖父が簡単に作っていたから、自分もできる気になっていて、とりかかったけれどうまくいかなかった。

竹を薄く削ることすらできなかった。
削ることができても、飛ぶことはなかった。
祖父は別の作業を横でしながら、それをジッと見ていた。

でも、できたよと言って渡すまで、何も言わなかった。
できた物を見ても、飛ばしてみなさいとしか言わなかった。
飛ばして見てがっかりする私に、よく見なさいと言って自分の作った竹トンボを渡す人だった。
もう嫌だと言うと、これぐらいで嫌なのか? と聞く人だった。
失敗だと言っても、失敗をしなさいと言う人だった。
せっかく失敗したのだから、どうして失敗したか考えなさいと言う人だった。
もう辞めると言えば、やめてもいいがワシはもう作らんと断言された。
何かに取り組む時は、子供扱いしなかったのだと思う。

何枚も何枚も竹の板をダメにした。
指は切るし、小刀の当たるところにはマメができるし、痛かったのを覚えている。
こんな物作れたって役に立たないもん、と言っても、役に立たないと思うのか? と聞かれるから、明確な役立つことはわからなかったけれど何も言えなくなった。

ちゃんと飛ぶ物ができるまで、何日かかったか覚えていない。
飛ぶ物ができるまで、付き合い続けた祖父は忍耐強いと思う。

私が竹トンボを当たり前に作って弟や友達に渡せるようになるころには、鉛筆を削るぐらい簡単になっていた。
私はとても手先が不器用な人間なので、細やかな作業はとても苦手なのだけど、どうすれば成功するかを良く見ることを覚えていた。
不器用でもコツを探して、完成品のどこをまねれば飛ぶのか、考えることを身につけていた。
物事は上手だとか、器用だとか、それだけではうまくいかないのだ。
ただ、うまく作れるようになっても「良くできた」とほめることをしない人だったので、心の芯になる自信の部分が育たなかったのが残念だ。
無骨な人だったから、ほめることを知らなかったのだろう。

小学生になって、高学年ぐらいのときだろうか?
小さい時に竹のおもちゃを作ったことで、鉛筆削りみたいな余分な物を買わなくて済んだし、なんだか勉強みたいだと祖父に言ったことがある。
祖父は、そうか、と言った。
当たり前の口調で、生きている限りすべてが勉強だからそれでいいと言った。

あまりに大きな意味を含んだ言葉だったから、その時の私には理解できなかった。
今でも、ちゃんと理解できていない気がする。
記憶から消してしまうことはできないけれど。

中学になったらシャープペンシルを使うことを推奨された。
学校の決まりだったから、鉛筆は図画工作の時間ぐらいしか使わなくなった。
鉛筆を使わなくなると、祖父との時間も薄らいでしまった。

今の私は、私自身を上手く認められない。
自分のことを好きになれない。
信じることが下手で、迷い始めると際限なく不安に駆られる。
簡単にあきらめて、その場から逃げようとする。
ダメな奴だ。本当にダメな奴だと悲しくなる。
祖父が生きていたらきっと、アホウが、とつぶやいてくれるだろう。

そう、私はアホウだ。
祖父が自分の貴重な時間を使って態度で教えてくれたことを、いつのまにかないがしろにしていた。
言葉にしてもらったことはないけれど、教えてくれたのは大切なことだ。
机の前に座ることだけが勉強じゃないと語っていたことは、私の中でも真実だ。

私は私のままでいい。
得意なことも、不得意なこともあっていい。
強くなれなくても、弱いままでも、それでいい。
私が不完全なように、私に関わる縁ある人も不完全でいい。
補い合えたり、認め合えれば、それでいい。
泣きたいぐらい、お互い様で生きていければいいのだろう。
祖父が伝えようとした形のないものを、私はちゃんと覚えている。

ずいぶん、カッターナイフを使っていないけど。
祖父を思い出しながら、鉛筆を削ろうと思う。

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それなりに年齢を重ねたからでしょうか?
ふとしたきっかけで子供の頃のことを思い出します。
厳しいと優しいの差がよくわからないけど、わかりにくい愛情でした。
わかりにくいけれど、見えないものはたくさんあったなぁ。
でもやっぱり、たくさんほめられたかったw
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