短編集 恋の卵

風花 3

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 私はあまりのことに、言葉を失いました。
 遠くで戦が起こっているのは知っています。
 この辺りは戦から離れた場所ですから、その影響は本当になかったので、悪い冗談のようにしか思えませんでした。
 それでもあの人の眼差しの強さは、真実だと告げていました。

「これは、身分など関係ない世を作るための戦です」
 清廉とした面差しに相応しく、迷いのない言葉でした。
 それでも私には思いもよらない言葉でしたので、その意味を理解することはできませんでした。
「身分が関係ない……?」

 口の中で何度転がしてみても、絵空事より現実味がありません。
 あの人のまっすぐな瞳が不意に恐ろしくなり、私は眼を伏せてしまいました。
 真意をわかりかねて途方に暮れている私に、あの人は根気強く続けました。
「そうなれば、武家も、商家も、関係ありません。皆、平等となり同じになるのです」
 平等。言葉の意味はわかりましたが、やはり実感が持てないことでしたから、私は力なくうなだれて、首を横に振ることしかできませんでした。

「私には、難しいことはわかりません」
 志のある人の言葉を理解するには、私は愚かだったようです。
 それが悲しくて、やはり遠くから見ることも許されない人なのだと、思い知らされように感じました。
 見つめるだけで心が華やぐなど、やはり身の程知らずだったのです。
 そんな意気地のない私の心を叱咤するように、あの人の声が鼓膜を打ちました。

「生きて帰れたならば、名前を教えていただけませんか?」

 静かでもハッキリとした、熱を帯びた言葉でした。
 私はハッと息を飲みました。
 やっと何を言おうとしているのか、おぼろげにですが見えた気がしたのです。
 思わず開きかけた唇を、あの人の指がそっと押さえました。

「生きて帰れたならば、です」
 堅い、決意を込めた声でした。
 命を賭した戦いなのだと、それだけで伝わりました。
 いくらお武家さまでも、恐ろしくないはずがありません。
 かすかにふるえているその長く骨っぽい指先が唇から離れ、少しためらうように私の頬に触れます。
 凍えた冬の空気の中で触れるぬくもりは、確かに今を生きている証でした。
 二度、三度と上下して、ほのかな暖かさを残して遠ざかっていきました。

 では、と背を向けたあの人を、私は見送ることしかできませんでした。
 スイスイと何事もなかったように遠ざかっていきます。
 あの人の背中が石段を下って見えなくなるころになって、ようやくかけるべき言葉を思い出しました。

「御武運を!」

 私の精一杯の想いを込めましたが、御無事で、と続けることはできませんでした。
 志を持つ人に相応しいのは、迷いなく前に進む言葉であるはずですから。
 だから、御武運を、と。

 聞こえたか、聞こえなかったかすらわかりません。
 ちゃんと届いていればいいと、願うばかりなのです。
 それが、あの人との別れでした。


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