短編集 ちょっぴり異世界

水の魔女と炎の竜 8

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 月が沈む。
 太陽が昇る。
 いつまで続くかわからない、単調な毎日。
 一人きりの朝も夜も、凪いだ静けさとともにある。
 満潮の時に島の周りにあふれる潮騒は、穏やかな歌のように響く。

 太陽が天空に高く上る頃。
 ファサリ、と強く風が動いた。
 廃墟の中にいても伝わってくる気配に、眠っていた魔女は身を起こす。
 強すぎる太陽は血色の瞳に刺さるので、昼間は建物の奥深くにいることが多いのだ。
 耳を澄まさなくても気配が乱れ、島の中にいる動物たちがざわめいていた。
 ザワザワと気配が乱れ、逃げ場を求めている。
 何かに強く怯えている様子が伝わってきた。

 歩きだす前に少し迷ったけれど、ベールをかぶらず肩にかける。
 自分の容姿についても異質だとしか思っていなかったので、目があった瞬間に動きを止める相手の心情はわからない。
 それでも血色の瞳を見て、勝手に動きを止める人が多いことを知っていた。
 魅入られる、に近い反応だという気がする。
 陽の光は目に痛かったが、利用できるモノはなんでも利用するつもりだ。

 私は魔女。
 冷たい死を司り水を操る冷酷な魔女。
 自らに何度も繰り返し言い聞かせるのは、妙な温情を相手に与えないためだ。

 異質な空気の源は、中央にある広場のようだった。
 ザワ、ザワ、ザワ……揺れる空気の源に向かって歩を進めた。
 島にいつの間にかすみついた小動物たちが遠巻きにしている。
 逃げ場を求めて惑うのをやめて、現れた何かを観察しているようだ。
 思わず首をかしげた。

 今は満潮だ。
 場を乱す何かがやってこれるはずもないのに、一体どういうことだろう?
 不安が胸をよぎる。

 魔女には予想もつかない、何かが起こっていることだけは確かだった。
 警戒しながら歩を進め、崩れた柱の横を通り抜ける。
 半分ほど崩壊した石造りの建物を越えると、中央広場が目の前に広がる。
 思わず、足をとめた。

 ポツンと一人、青年が立っていた。 
 その姿に、ドクン! と心臓が跳ねる。

 長い黒髪に、緋色の衣。
 無数の腕輪や頭輪は黄金の細工物で、きらびやかに身を飾っている。
 体格は大人のそれに代わっていたけれど、面差しに覚えがあった。
 何よりも忘れ難い瞳は透明な青で吸い込まれそうなほど深い。

 まさか、そんなことあるわけがない。
 そう否定しつつも過去の記憶があふれ出て、どうしても青年から目が離せない。
 真っ直ぐに見つめてくる人から目をそらすこともできず、互いの変化を確かめるように視線が絡み合う。

 ホルス。
 遥か昔。荒野でであった日に、アルティメットホルスと名乗った人。
 舌の上で何度も名前を転がしたその人を、忘れられる訳がない。
 甘い毒に似た言葉もよみがえり、脳裏をしびれさせる。
 与えられた口づけを思い出すたびに、惑い、悩み、甘い期待と苦い否定を味わった。
 忘れたくても忘れられなかった名前が、喉の奥から出てきそうで、きつく唇をかみしめる。

「マーレ、迎えに来た」

 差しのべられた手に、一歩だけマーレの身体が後ろに逃げた。
 頼りない子供のように後ろも見ずに駆け出したかったけれど、意思の力でなんとか踏みとどまる。

 運命の人だとか、いつか迎えに行くと言ったのに、今の今まで何もなかった。
 今は砕け散ったけれど、証にと耳に残されたピアスのせいで、忘れることすらできなかった。
 苦しくて、期待して、信じる自分の弱さが悲しくて。
 何度も思い悩んだ。
 それなのに、当然の顔をして現れたホルスに、訳もなく怒りがこみ上げる。
 マーレの反応に、ホルスは不思議そうな顔になる。
 振り切って逃げたい衝動と、駆け寄ってその頬をぶちたい衝動が、胸の中でせめぎ合っていた。

 いまさら? と思う。
 放置されたままだった時間が長すぎて痛い。
 ずっとずっと、心が囚われていた人だけれど。
 これは愛ではない。恋でもない。
 心を犯すだけの毒だ。

 それでも、と心の奥深くでは泣いていた。
 マーレと名前を呼ばれると同時に魔女としての矜持はホロホロと崩れ落ち、マーレ様とナディに呼ばれていたころのやわらかさを取り戻していた。
 複雑で相反する感情が渦を巻いて止まらない。

 もっと早く会いたかった。
 あの日のうちに口づけの意味を教えてほしかった。
 怖かったあの侵略の日に、本当は救いだしてほしかった。
 会いたくて、会いたくて、何度もあきらめたのに、今さら現れるなんて。
 ずっと捨ておいてくれたら、どれほど楽だったことか。
 涙は流れなかったけれど、胸の奥からあふれるのは悲しみを連れた透明な怒りだった。
 私は魔女だと背筋を伸ばす。

「去ね。二度と来るな」

 指先で、ホルスを指し示す。
 理不尽な怒りだと理解はしていた。
 理性だけでは、膨れ上がる感情は止められない。

「なぜ、怒る?」

 答えのかわりに放たれたマーレの力は届かなかった。
 ホルスの前で炎の壁に阻まれたのだ。
 青白い炎が幾筋も湧き立ち、形を変え、ホルスの周囲をクルリと回る。
 出会ったあの日に見たのと同じ、炎の蛇が護るようにうねりながら宙を舞った。
 チリチリと肌を焦がす熱とともに、青白い火の粉が散る。

 マーレは軽く手を広げ、周囲に意識を伸ばす。
 梢や葉を湿らす露も、大地に染みた雨水も、大気を潤す湿気も、全てがマーレの支配をうける。
 ポツポツと小さな雫が無数に浮き上がり、集まって球を形作る。
 水球はテラリと無機質な輝きを放ち、水晶のようにきらめいた。

 きつく睨みつけるマーレに、ホルスは考えを巡らせているようだった。
 眉根を寄せて、難しい顔をしていた。
 かける言葉を探しているようでもあった。
 しばらく思い悩んでいる様子を見せていたが、しばらくすると考えても仕方ないとばかりに、一歩、歩を踏み出す。

 同時に、浮かぶ水球が複数の蛇となり、ホルスに襲いかかる。
 グルリとうねり、高速で迫る無数の矢のような水の蛇を、青い焔の蛇が絡め取るように巻きついた。
 シュウッと音をたてて水蒸気が立ち上る。
 世界が白く染まる。
 ホルスがうるさげに手をふると、視界をふさいでいた蒸気がかき消えた。

 マーレは目を見開いた。
 青白い炎が、マーレの水の力を打ち消していく。
 脳裏を過去に得た知識がチラリとかすめる。
 赤い炎よりも、炎は白く透き通るほど高温になる。
 ならば、直視するのをためらうほどの青白い炎はどれほど強いのだろう。

 それでも、力をふるい続けた。
 水の力を使うことだけが、マーレにとって生きている証明だったから、ありったけの力を注ぎ続ける。

 炎の蛇は集まり、大きな竜のように膨れ上がり、世界を照らす。
 歩を進めてくるホルスの足元からも青い炎がわいた。
 マーレの努力をあざ笑うかのように、水の蛇はいつの間にか姿を消していた。
 焦燥に駆られたマーレが幾度力を放っても、周囲に満ちた炎の力が強くて何も起こらない。
 こんなことは初めてだった。

 一歩、一歩。
 何もなかったかのように、ホルスは近づいてくる。
 マーレの力はなにひとつ通用しなかった。

「……こないで」
 細い懇願が唇からこぼれ落ちた。
 勝手に身体震えて止まらない。

 どうして? どうして?

 マーレにはわからないことばかりだ。
 ホルスに対してどんな感情を向けていいのかも混乱していた。
 だから、逃げたい、と思った。

 その衝動のまま、身をひるがえす。
 駆け出す前に右腕をつかまれ、獣のような強引さで引き寄せられる。
 初めて会った時と同じだ。

 あんな一方的な口づけはいらない。
 とっさに抵抗して突っ張る腕も無視され、マーレは身をすくませる。
 いや! と叫ぶ前に与えられたのは、強くあたたかな抱擁だった。

 驚きで、息が止まりそうになる。
 ぴったりとよりそう身体と身体。
 顔をうずめるような格好になり、ホルスの胸からは懐かしい乾いた荒野の匂いがした。

「遅くなって悪かった」

 もう大丈夫だと言われて、何が大丈夫なのかはわからなかった。
 ただ、抱きしめてくるホルスの腕が熱い。

 怒っていたはずだった。
 悲しかったはずだった。
 もっと早くと自分勝手な苛立ちのまま、理不尽な力をぶつけても通じない人に身をゆだねたくはなかった。
 離して、と震えながら願ったけれど、かえってその力が強くなった。

「泣くな」

 今まで誰かに抱きしめられたことなど、一度もなかった。
 マーレの力を知っても、怖がって逃げ出さない人は一人としていなかった。
 手をつなぎ、自分から抱きしめて、触れあったのも、ナディ唯一人だ。
 大切で、愛しくて、ずっと一緒にいたかった可愛いナディを殺したのはマーレ自身だったけれど。


「泣いてなんかいない」
 人前で泣いたことはなかったし、初めてばかりでどうしていいかわからない。
 一人きりで声を殺すばかりで、誰かにすがる泣き方なんて知らない。
 だから、泣いてなんていない、と再び繰り返した。

「そうか?」と不思議そうな声が頭上から落ちてきた。
 ホルスの両腕はしっかりとマーレの身体に回されていたけれど、マーレは手の置き場すらわからない。
 苦しくはないけれど甘やかな抱擁があまりに温かいから、押し返そうと突っ張っていた手から力が抜けていく。
 少しでいいから離れたくて身じろぎしたけれど、回された腕に力が込められただけだった。

 視界がにじむ。
 潮が引くように消えた炎の気配と同時に、涙が勝手にあふれてきたのだ。
 こみ上げてくる嗚咽を必死で飲み込んでいることに、ホルスは気付いていた。

「これからはおまえの側に、俺がいる」

 水には炎。炎には水。
 相反するようで、惹きあう二つの力は、命の営みそのもの。
 側にあれば均衡が保たれ、荒れ狂うことはない。

「だから、おまえ自身を怖がるな」

 その言葉に、マーレは震えた。
 そう、ずっと怖かったのだ。
 怖くて、怖くて、仕方なかった。

 自分の力も。
 自分の異質も。
 自分を取り巻く人々も。
 誰もかれもが、マーレを残していなくなる。

 制御しても制御できなくても、強すぎる力は死を呼んだ。
 見送るのはいつも、背中ばかりだ。
 ずっとずっと、ひとりぼっち。

「そんなこと……私、どうすればいいかわからない……」
 震えるようにつぶやくと、今は泣けばいい、と耳元でささやかれた。

「もう一人にはしない。お前は俺の運命の人」

 そのまま優しく幼子をあやすように背をなでられ、感情がはじける。 
 マーレは生まれて初めて声をあげて泣いた。
 嬉しいのか、悲しいのか、苦しいのか、安どしているのか、わからない。

 ただひたすらに、泣いて、泣いて。
 言葉にならない慟哭をあげて、胸の奥にある感情すべてを吐き出すように泣き続ける。

 そして。
 その日から島は無人になった。
 無数にある墓標も、いつか緑の蔦に飲み込まれるだろう。
 静かな鎮魂の場所には、潮騒が響くばかり。

 廃墟と化した神殿に、水の魔女はもういない。

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