短編集 ちょっぴり異世界

水の魔女と炎の竜 4

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 神殿の朝は早い。
 夜明けとともに、広間に集まって巫女たちは祈りをささげる。
 白い大理石の床はヒンヤリとして、磨かれて艶々と輝いていた。
 神官長の祝詞を捧げる声が朗々と響く。
 囁くような潮騒と、吹き抜けるやわらかな海風。
 太陽の光はこの世界にあるすべてに等しく降り注ぐ。
 祈りの時間は、マーレにとって安らぎの時間でもあった。
 神聖な場を満たす、敬虔な空気。

 マーレが朝の祈りを捧げるようになってから八年が過ぎていた。
 神の存在は信じていない。
 それでも神を敬う神殿は、マーレに居場所を与えてくれた。
 頭も心も空にして、ただひたすら今日の平穏を祈ればいいのだ。
 昇りくる太陽に向かいひざまづき、両手を胸の前で交差させ、瞳を閉じる。
 今日という日をはじめる光に包まれ、生気が世界に満ちてくるのを肌で感じていた。
 目を開ければ並ぶ巫女たちの白い衣が、陽光で黄金に染まっているのが見えただろう。
 穏やかで静かな神殿の中で過ごす、外界とは関わらない平穏な暮らし。

 陸から見れば青い海と白い石の神殿は幻想的で、神々が住むにふさわしい美しさで浮き上がる。
 一息に見渡せないほどの大きな島は、満潮時は海に囲まれ干潮の時には陸とつながるのだ。
 海辺の神殿には水と風の力を宿す者が集められていた。
 巫女の居住区と海辺以外に近づかなかったので、マーレに正確な人数を知る術はなかった。
 神官たちから話を聞く限り、居住する島のすべてが神殿の役割を担い、巫女以外の暮らす者も合わせれば数百人を超える大所帯らしい。
 他の役割を持つたちともほとんどかかわらない、神を敬い、世界のあり方を学び、神に祈りをささげる毎日。

 神の前では、生きとし生きるモノすべてが平等だった。
 異能を持つ者たちも、ここでは自らの異質を主張する必要はないのだ。
 マーレは他の者と違い濃いベールをかぶっていたけれど、それは光に弱い目を補っているだけで、当たり前のこととして受け入れられる。
 銀の髪も血色の瞳も神殿の中ではただの特徴としてとらえられ、数多くいる巫女のひとりでいられた。
 自分の中にある水の力を操る術も学んだけれど、能力を使うのは神の威光を知らしめる戦士と治癒師だけで、神に祈りをささげる役割のマーレが使うことはなかった。
 神殿の中にいれば、一生使うことはないかもしれない。

 一八歳になったマーレは、未成年の巫女の中では年長にあたる。
 新しく入ったばかりの見習いたちの教育係を務める役割も担うことになった。
 まともに人と関わった経験もなく、自分にできるとは思えなくて不安だった。
 それでも、子犬のような愛らしい笑顔でしたってくる幼い後輩に、心を砕くようになるまで時間はかからない。

 受け持つことになったナディは良く笑う少女だった。
 栗色の髪、緑の瞳。健康的な小麦色の肌。
 ひだまりが良く似合うふっくらとした容姿のナディ。
 マーレ様、と鼓膜をくすぐる幼い声が可愛らしくて愛しい。
 様なんてつける必要はないのに、と告げても、マーレ様はマーレ様ですもの、と笑うその笑顔に癒された。
 七歳だと聞いてもふっくらした頬やポコンと浮かぶえくぼに、実際の年齢よりも幼い印象を受けてしまう。

「マーレ様はお綺麗だから、大祭の日にやってくる国主様たちに見染められるかもしれませんね」
 身支度の最中で交わす雑談で、ナディはよくそんなことを言った。
 長く伸ばした髪をとかしあうときに、くしけずりながらうっとりと見つめられて、マーレは戸惑うばかりだ。
「それはないと思うわ」
 鏡は神殿に置くことが禁じられていたので、他の誰よりも綺麗だとかベールで隠すのが惜しいと熱っぽく語られてもピンとこない。
 日の光を避けて暮らす自分なんかよりも、話に聞いた紅をさしあでやかな衣をまとった都の貴婦人が美しいだろうにと思う。
「マーレ様はご自分を知らないから! 運命の人はどこにいるかわかりませんもの」
 ナディの夢見るような口調に、マーレは返す言葉を失った。

 運命の人。

 その響きの持つ甘さが、八年経ってもマーレを苦しめていた。
 ホルスと言葉を交わしたのは、停泊した三日間の中でもほんのわずかな時間。
 翌日も、その翌日も、オアシスの側にいるのを見かけたけれど、マーレはキャンプから離れなかったので言葉は交わしていない。
 他人と唇を合わせるのは、口づけと呼ぶ行為だと今では知っていた。
 背も伸び、体つきも丸みを帯び、すでにマーレの身体は子供ではないのに、心だけはホルスと触れ合った幼い時のままで、そこから動けない。

「マーレ様?」
 物思いに沈むマーレに気付き、ナディが心配そうな顔を向ける。
 気分でも悪いのかとオロオロする様子に、ふと正気にかえり「なんでもないのよ」となんとか答えた。

 そう、なんでもないことだ。
 想い出なんて水に落ちた砂糖みたいな簡単さで、記憶の奥に溶けて消えてしまえばいいのに。
 けれど、目を閉じるたびにホルスの姿が浮かび上がる。
 運命の人という甘い響きは、八年を経てもマーレの心を震わせ続けていた。

 耳たぶにピアスが証として残っている。
 一方的な口づけと同時に与えられた、青白い焔を宿した魔石のピアス。
 止め具のない不思議なそれは外す術もないから、マーレの耳たぶに当たり前のように納まっていた。

 迎えに行くと言ったホルスの言葉を信じている訳ではない。
 でも、もしかしたら、とも思う。
 世界を敵に回しても惹かれあう、と断言された強さは甘い毒でしかない。
 隊商の長に彼らの事を問いかけた。
 そこで古の血をひく神秘の一族だと聞いたこともマーレを惑わせた。

 人でありながら、人ではないと謳われるほど、ホルスが属するのは謎に満ちた一族だった。
 その詳細を誰も知らない。
 一族以外の存在を排除している訳ではなく、居住区が普通の人と重ならないだけなのだが、それでも我々の普通が通じないと、隊商の長は苦笑しながら教えてくれた。
 普通の人ならば足を踏み入れられないほどの砂漠の奥深くでさえ、不可思議で美しい彼らは暮らしに困ることがない。
 オアシスからオアシスへと渡り歩く、風のように砂漠や荒野を渡る彼らは特有の文化を持っている。
 謎に満ちた風習を知るのはわずかで、関わったことのある一部の隊商だけ。
 なかでも口づけは特別な位置づけで、婚姻する相手としか交わさない。

 婚姻。
 恋も愛も知らないマーレには、実感すらわかなかった。
 けれどその意味は、マーレを惑わせるには充分な重さを持っていた。
 約束が交わされたというのならば、あれは婚約という意味だったのだろうか?

 幼かった頃は人と人の関わり方をわかっているようで、何ひとつわかっていなかった。
 時間がたてばたつほど身体と一緒に心が育っていき、ホルスから与えられた行為の持つ意味が変わり、触れ合わせた唇は特別な意味を濃くする。

 マーレは自分自身を振り返る。
 生まれ育った村では衣食住に困らなかったけれど、人として大切にされた記憶がなかった。
 隊商で過ごした一年に近い期間は、人として大切にされたけれど運ばれる荷のひとつだった。
 ホルスは不思議な力を持っていて、マーレを真っ直ぐに見て、初めて欲しがった人だった。
 たとえそれがマーレ自身ではなく、持っている特異な水の力を欲されたのだとしても。
 今まで誰にも必要とされなかったマーレを、ホルスは必要だと求めてきた。

 チリ、と胸が痛む。
 生まれて初めて、マーレ自身を求めた人。
 ホルスの姿を思い出しながら、アルティメットホルスと正しい名を舌の上で何度も転がす。
 見知らぬ者同士で唇を触れ合うなんてあり得ないし、婚姻を求められたならば一方的に残された約束が苦しかった。
 不安と期待と困惑が胸に湧き上がって、たまらなく狂おしい。

 けれど、と惑いながら思い直す。
 ホルスは名前しか知らない人だ。
 すでに八年が経過している。
 艶やかな黒髪も、深い青の瞳も過去の記憶でしかなかった。
 姿形も、声も、少年ではなくなり、想像が追い付かないほど変化しているに違いない。
 それが恐ろしくもあり、淡い期待をかきたてる理由でもあり。

 理性ではわかっていた。
 囚われる価値のない約束だと。

 忘れなければ。忘れたほうがいい。
 迎えに……なんてただの戯言で、ひとかけらも信じてはいけない。
 もどかしさばかりがクルクルと巡り、心の奥がチリリと痛む。

 だけど気がつくと指先が勝手に耳たぶに触れて、あの日の約束を現実だったと確かめてしまう。

 運命の人。
 甘い毒のような言葉だ。 
 愚かだと、自分自身を笑えばいいのだろうか?

 恋なんて知らない。
 愛だなんて間違えない。

 巡り惑い続けるマーレの想いには、行きつく場所がなかった。

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